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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)2992号 判決

原告 A野花子

他2名

右原告ら訴訟代理人弁護士 東幸生

同 平井満

右訴訟復代理人弁護士 平井龍八

被告 大阪府

右代表者知事 齊藤房江

右訴訟代理人弁護士 豊蔵亮

同 鈴木章

右指定代理人 春木勇

他2名

主文

一  被告は、原告A野花子に対し、金六四四五万七〇三五円並びに内金五九四五万七〇三五円に対する平成七年八月一三日から支払済みまで及び内金五〇〇万円に対する平成九年四月二五日から支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を、原告A野春子及び原告A野一郎各自に対し、金三二二二万八五一七円宛並びに内金二九七二万八五一七円宛に対する平成七年八月一三日から支払済みまで及び内金二五〇万円宛に対する平成九年四月二五日から支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告A野花子に対し、金六九九四万八六五九円並びに内金六三九四万八六五九円に対する平成七年八月一三日から支払済みまで及び内金六〇〇万円に対する平成九年四月二五日から支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告A野春子及び原告A野一郎各自に対し、金三四九七万四三二九円宛並びに内金三一九七万四三二九円宛に対する平成七年八月一三日から支払済みまで及び内金三〇〇万円宛に対する平成九年四月二五日から支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、亡A野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である原告らが、太郎が被告の開設する大阪府立病院(以下「被告病院」という。)において内視鏡的逆行性膵胆管造影(以下「ERCP検査」という。)及び内視鏡的乳頭切開術(以下「EST」という。)を受けたところ、被告病院に勤務していた医師らは、太郎に対する本件検査終了後の経過観察義務を怠り、同人の鳩尾部分の疼痛の訴えを軽視し、同人に対し、適切な検査、治療を行わなかった結果、同人を重症急性膵炎による多臓器不全によって死亡させたから、被告には使用者責任があると主張し、不法行為に基づく損害賠償請求として、死亡による逸失利益、慰謝料、弁護士費用等合計一億三九八九万七三一八円及び弁護士費用以外の損害については不法行為後であることが明らかな太郎が死亡した平成七年八月一三日から、弁護士費用については訴状送達の日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告ら各人の法定相続割合によって求めた事案である。

二  基礎となる事実(証拠を付さない事実は、当事者間に争いがない。)

1  当事者

(一) 原告A野花子(以下「花子」という。)は、太郎の妻であり、原告A野春子(以下「春子」という。)及び原告A野一郎(以下「一郎」という。)は、いずれも太郎の子である。

(二) 被告は、被告病院を開設する地方公共団体である。

宮本岳(以下「宮本医師」という。)は、平成七年当時、被告病院消化器代謝内科に勤務していた医師であり、砂田祥司(以下「砂田医師」という。)は、同じく被告病院消化器一般外科に勤務していた医師である。

2  診療経過

(一) 太郎は、平成七年三月三〇日(以下特に断らない限り、平成七年の月日を指す。)、自宅近くの吉田医院から紹介を受けて、胆石症、胆嚢炎という病名で被告病院の外科を受診し、七月三一日、被告病院消化器一般外科に胆石症、胆嚢炎の疑いで入院した。

(二) 被告病院は、八月二日、太郎に対し、胆嚢造影検査(DIC)を施行したところ、総胆管末端結石が疑われたので、同人に対する治療方針として、ERCP検査を行い、その結果、胆石が確認された場合には、続けてESTで胆石を除去することにした。

太郎は、同月七日、被告病院においてERCP検査を受け、被告病院は、右検査によって太郎に総胆管結石を認め、ESTを試みた。しかし、パピロトミーナイフが選択的に同人の胆管内に深く入らなかったため、ESTは施行できず、後日、開腹手術によって胆石を除去することとなった(以下右ERCP検査及びESTを併せて「本件検査」という。)。

(三) 太郎は、同日午後五時二〇分頃、本件検査を終えて自己の病室に戻り、同日午後六時三〇分頃から、腹痛を訴えるようになった。

(四) 太郎は、重症急性膵炎を発症し、同月一〇日午後一〇時にICUに移されたが、同月一三日午前一一時一九分、多臓器不全により死亡した。

(五) 太郎の相続人は、原告ら三名であり、ほかに相続人はいない。

3  急性膵炎の診断基準

厚生省特定疾患難治性膵疾患調査研究班が平成二年に作成した急性膵炎診断基準は次のとおりである。

(一) 上腹部に急性腹痛発作と圧痛がある。

(二) 血中、尿中あるいは腹水中に膵酵素の上昇がある。

(三) 画像で膵に急性膵炎に伴う異常がある。

右(一)ないし(三)の三項目中二項目以上を満たし、他の膵疾患及び急性腹症を除外したものを急性膵炎とする。

4  急性膵炎重症度判定基準

厚生省特定疾患難治性膵疾患調査研究班が平成二年に作成した重症度判定基準(以下「重症度判定基準」という。)は次のとおりである。

(一) 臨床徴候でショック、呼吸困難、神経症状、重症感染症、出血傾向のうち、一項目でもあれば重症とされる。

(二) 血液検査成績におけるB.E.、Hct、BUN又はCrを予後因子1とし、これらのうち一項目でも存在すれば重症とし、血液検査のうちCa、FBS、PaO2、LDH、TP、PT、血小板における異常値と画像所見でgradeⅣ、Ⅴを予後因子2とし、これらのうち二項目以上陽性であれば、重症と判定される。

三  争点

1  被告病院には、太郎の検査、治療等について注意義務違反があったか。

2  被告病院が別表記載の各時点で原告指摘の検査、投薬及び手術を行っていれば、太郎を救命することができたか(因果関係)。

3  右1・2項が認められるとして、原告らの被った損害はいくらか。

四  争点に対する原告の主張

1  争点1(被告病院の注意義務違反の有無)について

(一) 急性膵炎の早期発見・診断義務

被告病院が後記(2)ないし(4)の義務を履行していれば、八月七日午後八時四〇分には太郎の痛みが単なる手術痛ではないことが判明し、同日中には太郎の急性膵炎の診断は可能であったにもかかわらず、被告病院は、これを怠った。

(1) 急性膵炎の予見可能性

太郎には、被告病院入院前に慢性膵炎とも診断し得る膵疾患が存在していた上、ERCP検査自体に急性膵炎を発症させる危険がある。特に、本件検査は、予定より長い時間がかかっており、造影剤を重ねて投与し、パピロトミーナイフが膵管の方にばかり入る等、膵に対する物理的な刺激が加わっていた。また、急性膵炎の原因としては、胆石がアルコール性のものに次いで大きいところ、本件検査の結果、総胆管結石が確認されており、急性膵炎の発症を危惧すべき状況があった。

実際に太郎の診察、治療に当たった医師らは、本件検査前に、検査後の急性膵炎発症を危惧し、フサンの予防的投与を指示していたから、被告病院は、急性膵炎を発症する危険性あるいは発症可能性について十分に認識していたということができる。

(2) 経過観察義務

右(1)のとおり、太郎には急性膵炎の発症を危惧させる具体的状況があり、かつ、急性膵炎の診断には、臨床症状及び検査結果の把握が重要であって、除外診断も必要であるから、被告病院には、本件検査後、太郎の問診、触診、視診、聴打診等を適切に行い、患者の痛みの発症経過、筋性防御の有無、腸雑音の有無や急性膵炎の重症化の兆しとなるカレン徴候やグレン・ターナー徴候の有無等を確認し、経過を観察する義務があった。

しかるに、被告病院の医師は、太郎が八月七日午後六時三〇分頃から急性膵炎特有の鳩尾の辺りの痛みを訴え始めたにもかかわらず、看護婦にボルタレンの投与を指示しただけで自ら経過観察を行わないで、右義務に違反した。

(3) 急性膵炎診断のための検査義務

被告病院は、本件検査後の八月七日午後六時三〇分、太郎に対しボルタレンを投与したが、太郎の痛みは治まらず、午後八時四〇分には、嘔吐するほどの痛みを訴えるとともに胃液様物を嘔吐しているから、この時点で太郎の痛みは単なる手術痛ではないことが判明し、被告病院には、懸念された急性膵炎の発症の有無を診断するため、前記二3の診断基準に沿って太郎の血中及び尿中の膵酵素の検査を行うとともに、画像診断のため腹部超音波検査・腹部CT検査、腹部単純レントゲン撮影等を行う義務が生じた。

しかるに、被告病院は、血中、尿中の膵酵素の検査を八月八日早朝の定時血液検査まで、腹部超音波検査等を八月九日以降まで行わず、右各義務を怠った。

また、被告病院には、右時点でその他の検査として末梢血液検査を行う義務が存したにもかかわらず、被告病院は、これも怠った。

(4) 重症度判定のための検査義務

重症膵炎の治療のポイントは、早期に重症度判定を行い、多臓器不全等の対策を講ずることにあるから、急性膵炎と診断した時点で早急に重症度判定を行わなければならない。

したがって、被告病院には、太郎の症状が悪化した八月八日午前二時の段階で、動脈ガス分析、血液生化学検査、凝固機能検査等を行い、前記二4の重症度判定基準に即して重症度を判定する義務があったにもかかわらず、被告病院は、これらの義務を怠った。

(二) 急性膵炎に対する治療義務

被告病院には、八月七日中に太郎を急性膵炎と診断し、速やかに次のとおりの治療を行う義務があったにもかかわらず、これらの治療義務が十分に履行されなかったため、太郎は、八月八日午前二時、嘔吐を伴う痛みと冷や汗が出現して前ショック状態に陥り、さらに、同日午前六時から八時までに重症膵炎へと移行した。

(1) 全身重要臓器の正常な機能維持

急性膵炎の治療のためには、全身の恒常性機能の維持が必要であり、そのためには、必要に応じて動脈ガス分析と輸液療法を行うことが不可欠である。また、全身の恒常性機能維持に不可欠なエネルギー不足を招かないためにも適切な疼痛対策による体力消耗の防止が行われなければならないとともに、抗生剤投与等による二次感染の防止も必要である。

なお、疼痛対策としては、抗コリン剤(フサン等)の投与が考えられるが、被告病院には、急性膵炎には禁忌のボルタレンやプリンペランを投与しており、この点からも被告の治療行為は不適切といえる。

(2) 膵炎の原因究明とその除去

太郎には胆石の存在が認められており、重症化防止のため、八月八日午前六時までに、胆石の除去を行うべきであったが、行われなかった。

(3) 膵臓病変の悪化防止とその収束

膵臓を安静に保つために絶飲絶食を徹底する必要があり、膵分泌抑制と膵逸脱酵素の不活性化のためH2ブロッカー、プロトポンプ阻害薬、ムスカリン受容体選択的拮抗薬等の投与やタンパク質分解酵素阻害剤(メシル酸ナファモスタット、メシル酸ガベキサート、ウリナスタチン等)の持続投与を行わなければならないが、行われなかった。

(三) 救命のための試験開腹義務及びICU移送義務

患者が重症急性膵炎の状態に達すると、救命率は大きく低下するので、病院には、救命のための試験開腹義務や徹底した全身管理のためのICU移送義務が生じる。

前述のとおり、太郎の急性膵炎は、八月八日の午前六時から八時頃には重症急性膵炎へと移行し、同月九日午前九時三〇分には、さらに症状が悪化し、重症膵炎であることは明らかであったから、この頃までに、救命のための試験開腹を行い、太郎をICUへ移送すべきであったにもかかわらず、試験開腹は行われず、被告病院が太郎をICUへ移送したのは、三六時間後の八月一〇日午後一〇時になってからであり、被告病院は、試験開腹義務に違反し、ICU移送義務も適時に果たさなかったため、太郎を救命する機会を逸した。

2  争点2(因果関係の存否)について

右1で述べたとおり、被告が遅くとも八月八日午前二時までに、検査義務及び治療義務等を履行し、適切な治療を行っていれば、太郎の急性膵炎は重症化が避けられたといえるし、遅くとも同月九日午前九時三〇分までに、開腹手術義務やICUでの治療義務を履行していれば、太郎を救命し得たといえる。

急性膵炎の死亡率は、中等度の急性膵炎で二パーセント、重症例でも三〇パーセントにすぎないから、被告病院の過失と太郎の死亡に相当因果関係が認められることは明らかである。

3  争点3(損害額)について

被告の不法行為により、太郎に生じた損害は、次のとおり、合計一億三九八九万七三一八円であり、原告花子は二分の一である六九九四万八六五九円を、原告春子及び原告一郎は各四分の一宛である三四九七万四三二九円(一円未満切捨)をそれぞれ相続した。

(一) 葬儀費用 一五〇万円

(二) 死亡による逸失利益 九六三九万七三一八円

太郎は、死亡当時、満五五歳であり、死亡する前年の年収は、一四九四万四〇〇〇円であった。

(三) 死亡慰謝料 三〇〇〇万円

(四) 弁護士費用 一二〇〇万円

五  争点に対する被告の主張

1  争点1(被告病院の注意義務違反の有無)について

(一) 急性膵炎の早期発見・診断義務

被告病院は、八月八日午前一一時、定時血液検査の結果により、太郎を急性膵炎と診断したが、以下の事実に照らせば、特に診断時期が遅いとはいえない。

(1) 急性膵炎の予見可能性

太郎は、胆石症、胆嚢炎であった可能性が高く、PSTI値、CRP値、画像診断結果に照らしても、入院前に慢性膵炎を疑わせる検査結果が存したとはいえない。また、ERCP検査の合併症に急性膵炎が挙げられることは認めるが、その発生頻度は低く、発生した場合でも重症化することは稀である。本件検査においてパピロトームが度々膵管に入ったとしても、そのことが急性膵炎の発症を危惧させるものであるとはいえない。

(2) 経過観察義務

右(1)のとおり、太郎に特に急性膵炎の発症を危惧すべき状況はないから、原告が主張する前提の下での経過観察義務は生じない。

ただし、ERCP検査後は、胆管の痙攣や送気した多量の消化管ガス等が様々な原因により腹痛を起こすことがあるので、通常、消炎鎮痛剤(ボルタレン等)や鎮痙剤(ブスコパン)等を投与して経過を観察しており、本件においては、太郎が痛みを訴えた八月七日午後六時三〇分及び午後八時四〇分に、砂田医師の指示によりボルタレン座薬を挿肛している。

被告病院には、医師及び看護婦の組織的な診療体制の下で、患者の自訴、客観的状況、視診、触診、聴打診等により患者の容態を観察すれば足りるのであり、これを怠ったことはなかった。

(3) 急性膵炎診断のための検査義務

前述のとおり、太郎には特に急性膵炎の発症を危惧すべき状況はないこと、ERCP検査後に一過性の腹痛を起こす場合は稀ではないことから、被告病院は、太郎に対し、八月七日午後六時三〇分に、ボルタレン座薬二五ミリグラムを投与して、太郎の腹痛は軽快し、再び腹痛を訴えた同日午後八時四〇分には、再度のボルタレン座薬を投与したが、効果がなかったので、午後九時一五分にブスコパン(抗コリン剤)の点滴、静注を行ったところ、痛みは改善し、午後一一時五〇分には入眠している。

したがって、この時点で、被告病院には、急性膵炎発症の有無を診断すべく検査等をすべき義務があったとはいえない。

また、太郎の八月九日の腹部エコー検査は異常なしとの所見であり、八月七日に画像診断していたとしても、異常が認められなかったと思われる。

(4) 重症度判定義務

右(3)のとおり、被告病院には検査義務は生じていない。

また、重症急性膵炎は、診断及び治療とも非常に難しい難治性の疾患であるため、早期に検査して重症度を判定するよりも、患者の容態を診て四八時間以内に判断すればよいとされているところ、被告病院は、八月九日、太郎がショック症状を呈したことから重症急性膵炎と診断し、重症観察室(以下「重症室」という。)に移したのであり、被告病院の重症度判定が遅れたとはいえない。

(二) 急性膵炎に対する治療義務

前述のとおり、被告病院の診断時期が遅いとはいえないが、仮に遅れていたと判断されるとしても、太郎に対しては、予め計画されていた急性膵炎に対する予防的療法が行われていたから、結果として膵炎に対する治療が遅れたとはいえない。

(1) 全身主要臓器の正常な機能維持

原告が主張する治療内容は、重症膵炎が発症し、主要臓器不全の合併時において重要な治療方法であるが、被告病院は、太郎について、八月九日朝からそのような症状が進行しているものと判断して、対応した。

また、太郎は、八月七日早朝からの絶飲絶食が同月八日にも継続され、予防として指示のあったフサン、パンスポリン(抗生剤)の投与等が行われていたから、早期に治療した場合と同一の効果があったということができる。

なお、腹部の疼痛が不眠とストレスとともに体力消耗をもたらすのは、疼痛が極めて強いか、長時間継続する場合であって、必ずしも太郎には妥当しないし、ボルタレン座薬は、抗コリン剤とともに急性膵炎に対する疼痛対策として通常使用する薬剤であり、被告病院が使用した量も適切であった。また、プリンペランについても、その添付書類によっても急性膵炎に禁忌とはされておらず、急性膵炎による悪心、嘔吐への処方例として同薬が挙げられることもあるから、被告病院の各薬剤の投与には問題がない。

(2) 膵炎の原因の究明とその除去

急性膵炎、特に重症膵炎の原因は不明な場合が多く、したがって原因除去が不可能な場合が多い。本件においては、胆石手術計画中に重症膵炎が発症してその手術機会を逸したが、膵炎の原因は不明であり、胆石除去手術によって重症膵炎の発生を防止し得たとはいえない。

(3) 膵臓病変の悪化防止とその収束

被告病院では、八月八日午前一一時頃、太郎を急性膵炎と診断し、蛋白質分解酵素阻害剤(フサン、フォイパン等)の投与計画をして、同日午後二時頃から、フサンの点滴投与(二〇ミリグラム、一日二回の予定)とフォイパンの内服指示を行った。また、同月九日午後六時頃からは、FOYの大量投与(一日一〇〇ミリグラム×二〇バイアルの合計二〇〇〇ミリグラム)を開始しており、被告病院の処置に不適切な点はない。

また、原告が主張するH2ブロッカー、プロトポンプ阻害薬、ムスカリン受容体は、胃酸分泌抑制等の胃粘膜保護作用を有しているが、直接膵外分泌抑制、膵逸脱酵素不活性化に有用なものではない。

(三) 救命のための試験開腹義務及びICU移送義務

急性膵炎、重症膵炎における開腹手術の適応は、極めて専門的な議論を要するところであり、原告が主張するように安易に試験開腹をなすべきではなく、太郎の場合、八月一一日午前一〇時に施行したCTの所見でも開腹手術の適応となる所見はなく、患者の負担となる外科手術はむしろ避けるべきである。したがって、被告病院には試験開腹すべき義務は生じていない。

被告病院では、八月九日午前九時三〇分頃、太郎がショック状態に陥ったので、太郎を重症膵炎と診断し、直ちに監視体制を強化して、重症室に移すとともに、各種治療法、バイタルサイン等のチェックも頻回に行った。

被告病院において、重症室入室とICU入室の違いは、人工呼吸器による呼吸管理の必要性の有無であり、重症室における患者の管理は、専任医師(麻酔科医師等)の援助、看護婦要員と看護密度の上でICUに劣るが、太郎については、右段階で必要な処置、治療は重症室で可能であり、重症室でしばらく経過観察をすることは順序として当然のことである。太郎は、八月一〇日午後になり、努力呼吸、喘鳴の増強があり、被告病院は、午後八時二五分に測定した血液ガス値により、気管内挿管と人工呼吸器による呼吸管理が必要であると判断し、太郎をICUに移した。

以上のように、重症急性膵炎判定の時期が遅れた事実はなく、重症室において集中治療を行っているから、被告病院には過失はない。

2  争点2(因果関係の存否)について

重症急性膵炎は、活性化された消化酵素及び有毒物質が血中が腹腔内に逸脱し、周辺臓器や遠隔重要臓器の障害を引き起こす四〇歳から六〇歳代男性に多発する極めて死亡率の高い難治性疾患であり、救命は困難である。特に、厚生省特定疾患消化器系疾患調査研究班難治性膵疾患分科会の平成一〇年度の研究報告書の急性膵炎の重症度スコアに基づいて五段階に層別化すると、本件のような最重症のステージでは、致死率は極めて高い。

したがって、被告に注意義務違反があったとしても、太郎の死亡という結果との間には因果関係がない。

3  争点3(損害額)について

すべて争う。

第三証拠《省略》

第四当裁判所の判断

一  第二の二の事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  診療経過(本件検査に至るまで)

(一) 太郎は、平成七年二月三日及び同年三月一六日に右季肋部痛(激しい疝痛)を訴え、自宅近くの吉田医院の吉田医師から紹介を受けて、同月三〇日以降、被告病院の消化器一般外科外来に通院するようになり、同科の田中康博医師は、被告病院で実施した太郎に対する胆のう造影検査(DIC)及び腹部超音波検査等の結果、膵頭部に低吸収域の存在が否定されたほか、特に膵臓にも異常所見を認められなかったため、四月二〇日、胆のう炎と診断し、以後、経過観察に付した。

太郎は、六月四日、再び季肋部痛を訴え、被告病院では、七月三一日、太郎に八月四日に胆のう摘出手術をするとの予定の下に、八月四日、太郎を入院させ、以後、砂田医師が主治医となった。

太郎の血圧は、入院時の七月三一日が一〇七/六六mmHg、八月二日が八五/六〇mmHgと一〇〇/六〇mmHg、八月三日が一〇三/六三mmHgであり、通常から比較的低いものであった。

なお、太郎の吉田医院における各検査結果によれば、アミラーゼ値(正常値六〇ないし一九〇)は、同月一七日が三九、六月五日が四六で、CRP値(正常値〇・六以下)は、同月一七日が一六・二、同月二〇日が一五・一、同月二四日が七・〇であり、PSTI値(正常値五・九ないし二二・七)は、同月一七日が五八・一、同月二四日が三〇・三であった。

(二) 砂田医師は、八月二日、被告病院で実施した胆のう造影検査(DIC)の結果から、太郎を総胆管結石の疑いと診断し、太郎について総胆管結石の確定診断及び他の疾患の除外診断のためにERCP検査を施行し、その結果総胆管結石と診断された場合は、合わせてEST(内視鏡的乳頭切開術)によって結石除去を行うとの診療方針を立てた。

ERCP検査とは、内視鏡を十二指腸のファーター乳頭部付近まで挿入し、造影チューブを用いて造影剤を注入することにより、ファーター乳頭部に開口している胆管及び膵管を造影し、X線撮影を行う検査であり、ESTは、パピロトームを胆管内に深く挿入し、高周波電流を流してファーター乳頭を切開するものであって、本件検査は通常は合計で一時間強程度で終了するものである。砂田医師は、同月三日、太郎及び花子に対し、本件検査等の内容を説明し、本件検査を実施することについて承諾を得たので、入院時に予定されていた手術を中止するとともに、宮本医師に対し、太郎のERCP検査及びESTの依頼をし、太郎を消化器代謝内科との共観とした。

その後、宮本医師は、同月四日、太郎らに対し、ERCP検査の合併症として膵炎を発症する可能性があること等を説明し、太郎らは、検査等の承諾書を作成して、被告病院に提出した。

2  本件検査経過(いずれも八月七日)

(一) 被告病院が同日午前六時頃から午前八時頃の間に採血した定時血液検査の結果によれば、太郎の血清アミラーゼ値は一〇七、膵型アミラーゼ値は六三、白血球数は四五〇〇といずれも正常であった。

(二) 宮本医師は、午後三時一〇分頃、ERCP検査を開始し、ファーター乳頭部及び膵管に異常がないことを確認したほか、太郎の総胆管に八×八ミリメートルの結石一個を認め、右結石の大きさ及び個数により、ESTの適応と判断した。

ESTでは、パピロトームを胆管に選択的に深く挿入しなければならないが、膵管と胆管は、ファーター乳頭部で隣接しているため、パピロトーム挿入時には、ファーター乳頭の入り口でごく少量の造影剤を流し、少しでも膵管が造影されればやり直すという作業を行わなければならないところ、太郎については、膵管及び胆管の相互の位置関係のほか、蠕動運動が強く、ブスコパンを靜注しても直ぐに蠕動運動が再開するとの問題点があったため、パピロトームを胆管内に深く選択的に挿入することができず、作業は難渋した。

宮本医師は、約三〇分以上にわたり、右作業を繰り返したが、結局、太郎に対してESTを行うことができず、総胆管内の結石は、後日、外科的手術によって除去することにして、約二時間程度かかって本件検査を終了し、太郎は、午後五時二〇分に自己の病室に帰室した。

なお、本件検査中、太郎に対し、造影剤一一〇ミリリットル及び抗コリン剤ブスコパン七アンプルが使用された。

3  本件検査後の経緯

(一) 八月七日

(1) ERCP後は、胆管の攣縮や送気した多量の消化管ガス等により一過性の腹痛を起こすことがあり、その場合には、消炎鎮痛剤(ボルタレン等)や鎮痙剤(ブスコパン等)を投与し、経過を観察するのが通常であるところ、太郎は、午後六時三〇分、鳩尾の痛みを訴えたので、砂田医師は、太郎が胆管の攣縮あるいは胆石による痛みを起こしたと考えて、ボルタレン座薬二五ミリグラムを投与し、その後、太郎の痛みは多少軽減した。

(2) 太郎は、午後八時四〇分、「少しましになったけど、また痛い。嘔吐するくらい痛い。」と再び痛みを訴え、胃液様のものを嘔吐したので、砂田医師は、ボルタレン座薬の適量が一回二五ミリグラムから五〇ミリグラムであるところ、太郎の体格等から、右(1)の投与量が少なかったと考えて、ボルタレン座薬五〇ミリグラムを投与した。

また、太郎には、同じ頃、宮本医師が本件検査に先立って急性膵炎に対する予防的投与を指示していた抗膵酵素剤フサン一〇ミリグラムが五パーセントブドウ糖に溶解された上で三時間かけて点滴静注され、感染予防のための抗生物質パンスポリン一グラムも生理的食塩水一〇〇ミリリットルとともに投与された。

(3) しかし、太郎は、午後九時一五分、痛みが治まらない旨述べて、腹痛を訴えたので、砂田医師は、ブスコパンを併用することにして、太郎に対し、ブスコパン一アンプルを五パーセントブドウ糖に溶解して点滴静注した。

(4) 太郎は、午後一一時、血圧が八八/六四mmHgとなり、「ましだけど、もう少し痛みをなくしてほしい。」と訴えたので、さらに、ブスコパン一アンプルが五パーセントブドウ糖に溶解されて点滴静注されたところ、太郎は、午後一一時五〇分には入眠していた。

(二) 八月八日

(1) 太郎は、午前二時、再び鳩尾の痛みを訴え、注射しても二、三時間しか持たない旨述べて、冷や汗を流し、胃液様物を嘔吐したので、当直の曺医師の指示により、ブスコパン一アンプルが五パーセントブドウ糖に溶解されて、点滴静注され、太郎は、午前四時には入眠していた。

(2) 太郎は、午前六時、鳩尾の辺りを押さえて「また痛んできた。何とかならんかな。」と訴えたので、曺医師の指示により、鎮痛剤ソセゴン一五ミリグラムが投与されたところ、太郎は、午後八時には、相当症状が回復した旨述べた。

(3) 被告病院は、午前六時頃から午前八時頃の間に、定時血液検査を行って、太郎から採血をした。

(4) 太郎は、午前九時、「昨日よりはましになってきているが、左の脇腹から背中が痛い。右を向いてしか横になれない。」と訴えた。そこで、午前一一時、ボルタレン座薬五〇ミリグラムが交付された。

(5) 看護婦は、太郎の痛みが激しいので、砂田医師に太郎に対する輸液、食事、フォイパンの与薬について指示を求めたところ、砂田医師は、午前一一時、右(3)の検査結果、太郎の血清アミラーゼ値が四一六五と異常な高値になっていることを踏まえ、経口摂取は水分のみとし、輸液ソリタT3を三日間投与(昼二本・夕一本)すること、点滴ルートを確保することを指示した。また、砂田医師は、この頃、太郎の痛みが膵臓の炎症によるものではないかと疑うようになったが、急性膵炎と診断するまでには至らなかった。

なお、看護婦は、砂田医師の右指示を確認するため、後刻、医師指示簿に「きちんと指示下さい。」と記載した。

(6) 宮本医師は、午後二時、太郎が膵臓の炎症を起こしている可能性があるという連絡を受けて、太郎を診断し、膵酵素阻害剤の投与を開始すべきと判断したが、急性膵炎であるとの診断まではしなかった。

(7) 砂田医師は、フサンの投与(二〇ミリグラムを一〇〇ミリリットルの生理食塩水に溶解して朝・夕の一日二回点滴静注)を開始し、太郎が疼痛を訴えた場合は、まず、ボルタレン座薬五〇ミリグラムを投与し、効果がなければソセゴン一五ミリグラムを点滴静注するように指示した。

しかし、同医師は、この時、一部の文献では慢性膵炎の急性増悪期で比較的軽症で軽口摂取が可能な例に対する治療薬とされている膵炎治療薬フォイパン(六錠/日、食後直ぐ)を指示する一方で、絶飲や胃酸を介した膵外分泌を抑えるとともに消化性潰瘍対策ともなるH2受容体拮抗薬やセクレチンの投与を指示せず、感染症対策となるパンスポリンについても、八月七日の予防投与以後は、重症室入室後まで投与しなかった。

(8) 午後四時には、太郎の求めに応じて、ボルタレン座薬五〇ミリグラムが太郎に交付された。

(9) 午後五時三〇分には、同日二回目となるフサン二〇ミリグラムが点滴投与されるとともに、持続輸液とされた。

このとき、太郎は、痛みは少し軽減したが、吐き気が継続している旨述べたので、消化器機能異常治療剤プリンペラン一アンプルが投与され、太郎は、午後六時三〇分、吐き気が減少したと述べた。

太郎は、右(5)のとおり、砂田医師が水分を経口摂取することを認めたため、午後六時頃、少量の水分を摂取した。

(10) 太郎は、午後一〇時五〇分、吐き気は治まったが、腹部の痛みが継続しており、痛みのために右向きでしか眠れないと訴えたので、ペンタジン一アンプル及び睡眠導入剤アモバン一錠が投与され、太郎は、零時には入眠した。

(三) 八月九日

(1) 午前四時四〇分、太郎が腹部の痛みを訴え、座薬の交付を求めたので、ボルタレン座薬五〇ミリグラムが交付された。

(2) 午前七時二〇分、太郎が左右上腹部痛を訴えたので、ペンタジン一五ミリグラムが投与された。

(3) 同日の定時血液検査によれば、太郎の血清アミラーゼ値は前日を上廻る四六二〇であった。

(4) 午前九時三〇分、看護婦が入室したところ、太郎は、顔色が不良で、腹痛及び再々発汗があることを訴えた。このとき、フサン二〇ミリグラムが点滴投与された。

(5) 看護婦は、右(4)同刻、血圧を測定しようとしたが、太郎の脈が触知できないため、血圧を測定することができない状態であり、この頃、太郎は、重症膵炎の状態に陥った。

このとき、砂田医師は、太郎がショック状態に陥っていると判断し、太郎を看護婦詰所の隣にあり看護婦がガラス越しに常時患者を観察できる重症室に移した。被告病院の重症室は、人工呼吸器は備えているが麻酔医の応援を得なければならない点で、麻酔医が常駐して人工呼吸器による精密呼吸管理ができ、より細やかな対応ができるICUとは異なっていた。

(四) 重症室入室後

(1) この頃、太郎の腹部は膨満し、圧痛がみられたが、腹膜刺激症状である筋性防禦及びブルンベルグ症候はみられず、実施された腹部超音波検査の結果でも、画像診断上は異常所見が見い出されなかった。

(2) 重症室では、太郎に対し、循環管理(血漿剤の投与・自動血圧測定器による頻回の血圧測定・DOAの投与)、ミラクリッド投与、栄養管理、呼吸管理(血液ガス測定・酸素投与・胸部X線撮影)、エンドトキシン吸着、酸塩基平衡の補正等の全身管理が行われた。

(3) 八月九日午後五時には、緊急血液検査(動脈血ガス分析、血液生化学検査)の結果が判明し、砂田医師は、初めて太郎を重症膵炎と診断した。

このため、砂田医師は、輸液増量、FOY、イノバン、パンスポリン、ミラクリッド等を投与するよう指示し、午後六時から、これらが継続投与された。

(4) 太郎は、八月一〇日、総胆管結石、播種性血管内凝固症候群(DIC)、急性腎不全を理由として腎臓内科との共観となり、敗血症、急性腎不全、成人呼吸促迫症候群、ショック等に対する集中治療が行われた。

(5) 太郎は、同日午後九時、呼吸努力様著明となり、血液ガス分析による炭酸ガス分圧も上昇したので、人工呼吸器による呼吸管理のため、午後一〇時にICUに移された。

(6) 八月一一日午前一〇時の腹部CTによる画像診断検査の結果によると、太郎には、膵の腫脹、腹側に少量の液貯留等があったが、膵周辺の壊死組織、膿瘍形成等は見られなかった。

(7) 定時血液検査によれば、太郎の血清アミラーゼ値は、八月一〇日は一六五〇、同月一一日は六二五であった。

(8) 太郎の症状はICU搬送後も改善することはなく、太郎は、同月一三日午前一一時一九分、重症急性膵炎による多臓器不全のために死亡した。

なお、太郎の解剖は行われなかった。

二  急性膵炎の成因としては、胆石のほかにERCP検査自体が挙げられていることは当事者間に争いがないところ、右一の認定事実によれば、本件検査前には太郎に膵炎をうかがわせる所見はなく、太郎の血清アミラーゼ値は、本件検査前の八月七日午前六時頃から午前八時頃に採血した定時血液検査の結果では一〇七と正常値であったが、太郎は、本件検査後間もない同日午後六時三〇分頃から鳩尾辺りの痛みを訴え初め、ボルタレン座薬等の投与によっても、右痛みが完全に改善することはなく、同じ部位の痛みを訴え続けており、太郎の血清アミラーゼ値が本件検査後で同月八日午前六時から八時頃に行われた定時血液検査時には四一六五と異常な高値を示し、その後、同月九日に四六二〇、同月一〇日に一六五〇、同月一一日に六二五と推移していることが認められるところ、《証拠省略》によれば、血中アミラーゼの上昇は発症と同時あるいは発症後三ないし六時間に始まり、その後二〇ないし三〇時間で最高値に達し、さらに四八時間ないし七二時間持続することに照らすと、太郎は、本件検査直後の同月七日夕方から翌八日早朝の間に、本件検査の実施を契機として、急性膵炎を発症したと認めるのが相当である。

三  右二で述べたように、ERCP検査自体が急性膵炎の成因となるものとされており、また宮本医師も本件検査前にその旨説明し、フサンの予防的投与を指示していたことからも明らかなように、一般的にERCP検査に伴う急性膵炎発症の危険は否定できないから、被告病院はこのことに留意しながらその後の診療を行うべきであったことは、原告らが指摘するとおりである。

もっとも、原告らは、太郎には被告病院入院前から慢性膵炎とも診断し得る膵疾患が存し、特に本件検査では、作業が難渋し、膵に対して物理的な刺激が加わったから、右ERCPに伴う一般的な危険性以上に、急性膵炎の発症を危惧すべき具体的な状況が存したと主張するが、右一で認定したとおり、太郎が従前から慢性膵炎に罹患していたとは認めることができないし、本件検査がERCPに伴う一般的な急性膵炎発症の危険性を超えるより高度の危険性を招来するような態様で行われたことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用しない。

四  次に、被告病院の行った経過観察の適否について検討すると、《証拠省略》によれば、ERCPに伴う急性膵炎の発症率は〇・〇九二二パーセントである旨報告されているのに対し、ERCP検査後には、胆管の攣縮や送気した多量の消化管ガス等の様々な原因により、一過性の腹痛を起こすことが多くあることが知られているところ、右一の認定事実のとおり、宮本医師は、急性膵炎及び感染予防のために、予めフサンとパンスポリンの投与を指示し、八月七日午後八時四〇分にはこれが投与されているほか、砂田医師は、同日午後六時三〇分、太郎が痛みを訴え始めたことに対応して、ボルタレン二五ミリグラムを投与し、一旦は痛みが軽減したが、同日午後八時四〇分頃に再び太郎が痛みを訴えたので、効き目が持続しないのはボルタレンが少量であったからと判断して、倍量の五〇ミリグラムを投与したものの、太郎の痛みが軽減しなかったため、同日午後九時一五分には鎮痙剤であるブスコパンを投与し、その後、太郎も痛みが軽減した旨述べており、同日午後一一時には再度ブスコパンが投与されて、その五〇分後に太郎は入眠したこと、八月八日午前二時に太郎が再び痛みを訴えたので、当直の医師の指示によりブスコパンが投与され、太郎は同日午前四時には入眠したこと、同日午前六時には太郎がさらに痛みを訴えたので、薬剤を変更してソセゴンが投与されており、被告病院は、太郎について、まず可能性の高いERCP検査後の一過性の腹痛を疑い、薬剤自体やその投与量を変更しながら、太郎の腹痛の解消・軽減を図っており、急性膵炎に対する予防的措置としてフサンの投与も行われていることに照らすと、砂田医師が膵臓の炎症を考え始めた八月八日午前一一時までの被告病院の対応にはERCP検査後の患者に対する処置として特に不合理な点はないから、右時点までの経過観察に問題があったと認めることはできない。

五  しかしながら、被告病院の規模のほか、ERCP検査自体が急性膵炎の成因となるものとされており、本件検査前に急性膵炎の発症に備えてフサンの予防的投与が指示され、太郎もERCP検査後から鳩尾辺りの痛みを継続的に訴え、八月八日午前一一時には、血清アミラーゼ値の異常な高値も判明していたことに照らすと、この時点においては、もはや太郎が訴える痛みは単なる術後痛ではなく、急性膵炎による主訴を疑うべきであり、被告病院の医師には、急性膵炎の確定診断のための検査を実施し、除外診断を行うべき注意義務があるというべきである。

にもかかわらず、主治医である砂田医師は、太郎について膵臓に何らかの炎症があることを疑ったものの、急性膵炎が発症しているとは思い至らず、右検査及び除外診断をせず、太郎がショック症状を呈するまで膵炎の確定診断及び病状の把握の上で重要な腹部レントゲシ撮影、腹部超音波撮影、腹部CT検査等の各検査による画像診断を行わなかったのであり、また、右二認定のとおり、太郎の急性膵炎は八月七日夕方から翌八日早朝までの間に既に発症しており、ほかに特段の反証のない本件においては、これらの検査を実施していれば急性膵炎の確定診断をすることができたものと推認できるから、同医師には、急性膵炎の確定診断のための検査義務及び除外診断を怠った過失があると認められる。

これに対し、被告は、八月八日午前一一時には、急性膵炎の確定診断を下していたので画像診断は不要であった旨主張し、砂田医師もこれに沿う証言をするが、同時刻に記載された看護記録には「膵臓の炎症?」と記載されているにすぎず、診療録において「急性膵炎」という記載が最初になされたのは翌九日午後五時であることや、同月八日午前一一時以降重症室入室までに太郎に施された後記六記載の治療内容に照らすと、被告病院が右時点で確定診断を行ったと認めることはできない(なお、砂田医師が作成した死亡診断書にも、「八月九日膵炎発症」と記載されている。)。

六  《証拠省略》によれば、急性膵炎の中等症以下の治療においては、重症化の防止、鎖痛、感染症や合併症の予防等を目的とし、一般に、膵外分泌の抑制、輸液・栄養管理・疼痛対策、抗酵素薬投与、感染症対策、高頻度で合併する消化性潰瘍、消化管出血対策が必要であるとされ、抗膵酵素薬の投与については、一日に、FOY二〇〇ないし六〇〇ミリグラム、フサン一〇ないし六〇ミリグラム、ミラクリッド五ないし一五万単位のいずれかを持続点滴するものとされているところ、被告病院の規模に照らすと、被告病院の医師には、急性膵炎を発症した患者に対して右の治療を実施すべき義務があるということができる。

しかしながら、右一認定のとおり、被告病院の医師は、太郎に対し、複数の文献で基本とされている絶飲の指示をせず、八月八日午後六時には、太郎が少量の水分を摂取するのを容認し、一部文献に慢性膵炎の急性増悪期で比較的軽症で経口摂取が可能な例に対する治療薬とされているフォイパンを投与しており、右投与の際にも水分を摂取させて、急性膵炎の症状を悪化させたと認められるほか、H2受容体拮抗薬やセクレチンを投与せず、パンスポリンも八月七日の予防投与以後は、同月九日午前九時三〇分の重症室入室後まで行わなず、八月八日午後二時にはフサンの投与を開始したものの、同様の抗酵素薬であるFOYを継続投与したのは重症室入室後であることが認められるから、被告病院の医師は、八月八日午前一一時から翌九日午前九時三〇分の重症室入室までの間、被告病院に課せられた右治療義務に照らして、十分な治療を行ったと認めることはできない。

被告病院の医師がこのような治療しか行えなかったのは、太郎がこの間も鳩尾辺りの痛みを訴え続け、八月八日午前一一時には膵臓の炎症を疑ったにもかかわらず、被告病院の医師らは、右症状が太郎に重大な結果をもたらすとは認識せず、同人に対し、特に経過観察に注意を払い、諸検査を実施して確定診断を行わなかったことが原因であるといえるから、被告病院の八月八日午前一一時以降同月九日午前九時三〇分までの処置には、右治療義務を怠った過失があったというべきである。

七  そこで、これらの被告病院の医師の過失と太郎の死亡の因果関係について検討するに、《証拠省略》によれば、軽症及び中等症の急性膵炎の死亡率はせいぜい一〇パーセントとかなり低い一方で、重症膵炎の致死率は極めて高いことが認められるから、太郎の急性膵炎が当初から重症膵炎であり、あるいはその重症化や死亡という結果が避けられないものであった場合には、相当因果関係はないものとしなければならない。

しかしながら、太郎は、遅くとも八月八日早朝には急性膵炎を発症しており、本件各証拠によっても、右急性膵炎が重症膵炎であったことを認めるに足りる証拠はないところ、被告病院の医師には、同日午前一一時頃には、急性膵炎の確定診断のための検査及び除外診断をすべきであったのにこれを怠った過失があり、また、その後も、急性膵炎治療の基本である絶飲の指示をせず、水分を摂取させており、それが急性膵炎の症状悪化につながったものと推認される上、翌九日午前九時三〇分に重症膵炎の症状を呈するまで、急性膵炎の発症に気づかず、急性膵炎に対する十分な治療を行わなかった過失があるのであって、八月八日午前一一時の時点における太郎の急性膵炎の重症度やその後の治療の有効性は必ずしも明らかではないというものの、それは被告病院の医師が右検査の義務を怠り、その重症度の判定を行わず、また、治療義務を尽くさなかったからにほかならないのであって、そのために、原告らは、今日では、その際の重症度を立証するすべがないのである。

このような事実関係の下では、その結果として生じる真偽不明の不利益を原告らに負わせるのは相当ではないというべきであり、八月八日午前一一時から重症膵炎のショック症状が現出した同月九日午前九時三〇分までには丸一日近くの時的間隔があることに照らすと、ほかに特段の事情が認められない限り、太郎は八月八日午前一一時の時点では未だ重症膵炎の状態にまでは至っていなかったものと推認することが相当である(なお、同時点で検査に着手し、その結果が判明するまでに数時間を要したとしても、同月九日午前九時三〇分のショック症状の現出までには半日以上の間隔があるのであり、検査結果判明の時点においても未だ重症膵炎の状態にまでは至っていなかったものと推認するのが相当である。)。そして、前示のとおり、重症に至らない軽症及び中等症の急性膵炎の致死率は五〇パーセントを大きく下回ることに照らせば、ほかに特段の事情が認められない限り、右医師らの前記各過失がなければ太郎の急性膵炎の重症化及び死亡の結果は避けられたものと推認するのが相当であるところ、本件に現われた各証拠を検討しても、右各特段の事情に該当する事実を認めることはできないから、右医師らの前記各過失と太郎の死亡の結果との間には相当因果関係があるというべきである。

八  そこで、太郎に生じた損害額について検討する。

1  葬儀費用

太郎が一家の生計を担うものであったことなどを考慮すると、葬儀費用は一二〇万円をもって相当と認める。

2  死亡による逸失利益

《証拠省略》によれば、太郎が死亡する前年の平成六年分の収入金額は一四九四万四〇〇〇円であること、太郎は死亡当時満五五歳であったことが認められるから、右収入金額から生活費分を三〇パーセントとして控除し、満六七歳までの就労可能年数一二年のライプニッツ係数八・八六三を乗じて、現価を算出すると、九二七一万四〇七〇円(円未満切捨)となる。

(計算式)

一四九四四〇〇〇×(一-〇・三)×八・八六三≒九二七一四〇七〇

3  死亡慰謝料

本件における被告の義務違反の態様、死亡の原因となった急性膵炎の発症がERCP検査に基づくものであったこと等の事実経過、その他本件口頭弁論に現われた一切の諸事情を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰謝料としては、二五〇〇万円が相当である。

4  弁護士費用

本件事案の性質、難易度、審理の経過及び認定額等を考慮すると、原告らが被告に対し、被告病院の不法行為と相当因果関係のある損害として賠償を認め得る弁護士費用の額は、一〇〇〇万円と認められる。

5  合計損害額

右1ないし4の合計損害額は一億二八九一万四〇七〇円であり、花子が太郎の妻、春子及び一郎が太郎の子であり、いずれも太郎の法定相続人であることは当事者間に争いがないから、相続により、花子は太郎の右損害のうち六四四五万七〇三五円を、春子及び一郎は各三二二二万八五一七円宛を相続したと認められる。

第五結語

以上によれば、原告らの本訴請求は、主文一項の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項本文を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下寛 裁判官 西田隆裕 岩口未佳)

〈以下省略〉

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